小説家を目指す人々にとって、技術などの取得方法はもちろんのこと、どれくらい読書すれば良いかという情報は、あまり世に出回っていません。
実際に小説家を目指す上で、どういった読書法があり、読書量というのはどれくらい必要なものなのでしょうか。
読書法
流し読み
早く読む、という点のみに特化した読書法としては、流し読みがあります。
細かい表現などに注意せず、おおまかな流れを把握することに留意します。
こうした手法は細かな文章表現をスキップすることにはなりますが、あらすじや物語の展開を把握するのには有用な方法です。
熟読
細かく読み解く、という点のみに特化した読書法が熟読であり、小説家を目指すならなるべくこの読み方をする方が良いでしょう。
というのも小説家として大成するには文章表現の機微を知っておく必要があるからです。
流し読みをすることで、有名作品や数多くの作品を手早く読むことはできるでしょう。
しかしあらすじや物語の展開を知るだけなら、小説ではなくとも映像化された作品を見ればいいのです。
流し読みを重用するのであれば、アニメ化されたライトノベルはおおよそ読む価値が半減以下に減ると見て申し分ないでしょう。
小説はあくまで文章表現のメディアで行う創作活動なので、文章の機微を把握するのは小説家として最重要といっても過言ではないのです。
読書量
最低1作
端的にいえば、読書量は最低限1冊で構いません。
むしろ読んだことがなくても構わないとすらいえます。
小説は実力の世界なので、たとえ1冊も読んでいなくても世の人々が感動するような名作を制作できるのであれば、読書量は関係ありません。
とはいってもこれは極論に過ぎず、おおよそまったく小説を読んだことがない人が小説を書くというのは荒唐無稽でしょう。
幾許か読んでいなければ小説の常識や作法というものは理解できません。
基本的にはそうしたものさえ理解しておけばよいので、「この文量だけ読めば小説が巧くなる」というボーダーラインは存在しません。
最大量はない
同時にこれだけ読めば十分、というようなボーダーラインも存在しません。
小説家に限らず、おおよそ人生とは学習し続けねばならないものです。
学習をやめた時点で、その人の成長は止まるものです。
また読書量に最大量がないとはいえ、小説家は文章が好きでないとならないわけでもありません。
映像メディアが好きであれば、映画・ドラマ・アニメどれを見ても構いません。
その中から学ぶものがあれば、それを小説に用いればいいのです。
まとめ
○小説家を目指すなら、なるべく熟読する方が学ぶものは多い。
○流し読みはおおまかに作品を知るのに特化しているが、映像化されているものであれば速読する必要性は薄れる。
○読書量に明確なボーダーラインは存在せず、個々人によって変わる。
読書という練習は、一定量すれば良いものというよりも、日常的に長期間続けるものです。
個々人の読書のスピードはもちろんありますので、多読な人、あまり多く読めない人など千差万別です。
読書は無茶をしてでも続けるというより、継続できるスピードで長期的に続けるようにしましょう。