小説を書いたことがない人や小説を書き始めたばかりの人にとって、小説家に向いてる人の特徴というのはわかりづらいものでしょう。
いったい小説家に向いてる人の特徴には、どういったものがあるのでしょうか。
地味な作業を続けられる
執筆
おおよそ現代の日本で、紙面上・パソコン・携帯電話などで文字を書いたり打ったりしたことがないという人は少ないでしょう。
文字を書くという作業は、それ自体はまったく華々しいものではありません。
もちろん書くことによる表現の結果、小説家は華々しい作品を生み出すことができるのですが、日常的な作業としての執筆はごくごく地味なものです。
こうした作業に飽きない人が向いてる人といえますし、飽きるようであれば別の作業に従事した方が良いでしょう。
物語をまとめる
また小説の物語を考えるというのは、既に考案されているような様々な物語から異なるものを生み出すことでもあります。
小説に限らず、フィクションや創作物というのは多数存在し、それと同一または類似したものを制作するのは無意味ですし、場合によっては盗作とすら疑われてしまいます。
そうした点から、オリジナリティといっても良いのですが、いずれにせよ既存のものとは一線を画した作品を作らねばなりません。
そうした新しいアイディアは、同じことを何度も繰り返した上で生まれるものです。
お笑い芸人の方には、「常識を知れ。常識を知っているからこそ非常識ができる」ということを言う人がいます。
それと同様に、新しいものを知るには古いものや使い古されたものを知っていなければなりません。
「つまらない日常」という表現がありますが、これも同じことを繰り返すうちにそ飽き飽きするものの中から脱却するという思考が生まれるのです。
その日常をつまらないと感じない人は、おおよそその日常から脱却することなど目的にはしないでしょう。
考えることが好きな人
現在の小説
小説は、そもそも表現を行うものです。
文学小説は、社会的な問題や潜在的な問題を浮き彫りにするものでした。
現在では小説とは、単に物語を文章によって表現するもののことを指します。
特にエンターテインメント小説がその典型といえます。
おおよそ小説家を目指す人は、こうした分野の小説を書きたいと思っていることでしょう。
そうしたとき小説家を生業とするのならば、読者を楽しませるために、また小説家を職業として成立させるためには、継続的に出版して収入を得る必要があります。
物語を考え続ける
そうした継続的な小説の執筆を繰り返すには、どのような小説を書くのか考え続けねばなりません。
スポーツでいうと、小説家は選手であり監督なのです。
一人ですべて行わねばなりません。
監督としてそのチームをどう活躍させるか、存続させるかを考えながら、選手として仕事をまっとうせねばならないのです。
執筆の技術として書くことに注力するのは当然ですが、そうした物語についての考えを煮詰める必要があるのです。
これを苦とせず続けられる人が向いてる人といえますが、そうでないようであれば小説家として長続きはしないでしょう。
まとめ
○結果として小説家の作品は華々しくなるが、その実作業はとても地味。
○現代の小説はエンターテインメントが主流なので、読者を楽しませる作品を継続的に生む必要がある。
○小説は温故知新の作業であり、監督と選手を兼任する作業でもある。
小説を執筆するという作業は、考えるという作業をのぞけばただただ執筆するだけです。
紙と鉛筆さえあれば始められる作業ではあるのですが、職業として小説家を選ぶのならば、考え書き続けることは避けられないでしょう。