小説家になりたいという人達の中にはとても若い人たちがいて、夜間の学校などに通うべきか迷っている人達がいます。
はたして小説家になるには、夜間であっても学校には通った方が良いのでしょうか。
非常識は売れにくい
現在主流なのは大衆小説
小説はとても大雑把に分けると、文化的小説と大衆的小説とに分けられます。
文化的小説は、これまでの人類の歴史の中で当時の出来事を記していたり、また芸術的に価値があったりする小説を指します。
それに対し大衆的小説は大衆小説とも呼ばれ、映画やマンガのようにおもしろくて鑑賞者を楽しませるために発行されるものです。
現在では圧倒的にこの大衆的小説が主流です。
どちらも日本のみに限ったものではなく、海外でも同様に分類されます。
人心を掌握できない大衆小説には価値がない
この現在主流の大衆小説ですが、これは読者を楽しませるのが目的で、読者側からすれば楽しませてもらうために買うものです。
ですので楽しくない大衆小説に価値はまったくありません。
そういった点で、大衆小説を書いて売れるには、人心を掌握する必要があるのです。
人心を掌握できる人は、当然他人とのコミュニケーションを多く経験していないとなれません。
突飛なアイディアと魅力的なアイディアは一緒ではないのです。
突飛なアイディアは、とにかく非常識で他人の意図しないものだけを生み出していれば問題ありません。
しかし魅力的なアイディアは、どういったものが他人を魅了するか、どういったものが人々は好きなのかを把握しなければなりません。
学べることは学んでおこう
高校や大学は義務教育ではありません。
従って厳密には通う必要がありません。
夜間の学校であればなおさらです。
しかし高校などは義務教育としての中学校より高い水準の教育であり、日本人であればのきなみ経験するものです。
たとえば高校に行かずに小説家を目指す人と、高校に行ってから小説家を目指す人がいたとします。
前者は後者の人よりも3年間、小説について学ぶ時間の余裕があります。
そして3年経つと、後者の人は高校を卒業して小説について学び始めます。
両者とも小説家になれたとしましょう。
後者の人は高校に通っていたので、自由に高校のことを小説にすることができます。
前者の人は高校を経験していないので、気軽に書くことができません。
つまり前者の人は、高校のことを執筆する能力を引き換えに3年間を得たようなものです。
しかし小説家というものは一作だけつくれば良いというものではなく、継続的に発表し続けなくてはいけません。
小説家に限らず、社会人としての職業はその職に就いてからの方が学生時代よりずっと長いものです。
小説家には定年というものもありませんので、60歳を超えても、80歳になっても続けることができます。
両者とも80歳になったときに、若いころの3年間と高校について書ける能力とを比較すると、どちらの方が有用でしょうか。
もちろん高校は大人になってからでも通うことができますが、10代の頃に学校に通うのと大人になってから通うのとではまったく違うというのは自明の理です。
そういった意味では通信制であろうと夜間であろうと、若いうちに学べることは学んでおいた方が良いでしょう。
まとめ
○大衆小説は人心を掌握しないといけない。
○人心を掌握するには論理的に考えられるだけの知識が必要。
○学校に通わず得た数年は、大人になると差として小さくなって有利ではなくなる。
小説家になるというのは、気の長い話です。
年齢や性別など制限されていない分、若いうちに必ず小説家になれるとも限りません。
1年単位の短い期間ではなく、5年10年と長い目で考えましょう。