小説には恋愛小説というジャンルもあり、どのようなジャンルの小説にも恋愛要素が絡むことがあります。
小説家は小説を執筆するには、どれくらい恋愛経験があったほうが良いのでしょうか。
小説家にとっての経験とは
経験とフィクション
小説家にとって経験とはどれまで必要なものなのでしょうか。
現在ドラマや映画、アニメなどの映像媒体では最後にフィクションだと明言すれば、どういったものでも作っていいような風潮があります。
小説でも同じですが、フィクションだと明言することは、架空の物語だと宣言することです。
極論すれば架空の物語を作ることに、経験を盛り込む必要はまったくないといえます。
現実世界と違う魔法の世界を描くことも可能なので、そうした世界ではむしろ突飛なファンタジー性が好評を博すこともありうるものです。
とすれば小説家の経験とは、物語に箔を付ける、リアリティを持たせる程度の意味合いしかないのです。
どこまで創作して大丈夫か
そうしたフィクションが許される創作物の中で、虚構をどこまで盛り込むことができるかという問題は容易なものではありません。
フィクションや虚構というものは端的にいえば、嘘に過ぎません。
珍しくクリエイター・創作者は嘘が認められる職業です。
好意的に受け取れば、上手に嘘をつくことで収入を得ているようなものです。
そんな中でも許されない嘘があるとすれば、他人を傷つけるような嘘でしょう。
たとえば実存する人物を模したキャラクターを登場させて、その人が現実にはとっていないような言動を取らせることで信用をおとしめる行為は、許されるものではありません。
恋愛経験もあるに越したことはありません。
しかし海外のファンタジーのように人間ではない種族との恋愛などは、誰しも経験しようがないものです。
基本的にはキャラクターを創作するのも実際にはない恋愛経験を創作するのも問題ありませんが、実在する人物の名誉を棄損するような嘘は、法的に不利になる場合すらあります。
事実とフィクション
事実の重要性
創作物に事実を盛り込むというのは、とても難しいことです。
事実とはなんであるかという問いは、哲学的な問題ですらあり、容易に答えを導くことはできません。
歴史的に事実であるとされていた事柄でさえ、時間が経過し研究が進むと覆されてしまうことがあります。
もちろん「当時は事実だとされていた」という文脈で読者が解釈してくれればいいものではありますが、そういう可能性を考慮した上でどうした情報を盛り込むべきか考えなくてはいけません。
小説家にとっての嘘
小説家にとっては職業としてある程度の嘘が認められているものですが、予めそれが事実でないと知りながら騙すためにつく嘘も、基本的には認められるものではありません。
たとえば「中国や韓国は本来日本固有の領土であった」といったような嘘をついてしまうのであれば、国際的に誹りを受けてしまうことは避けられないでしょう。
同様に恋愛経験がないのに適当な嘘をつく行為、たとえば「女性は○○のような存在である」もしくは「男性は○○といった存在である」と断言するのは、批判を生みやすいものだといえます。
こうした「どういった嘘までなら許されるか」といった問題をしっかりと把握できているかどうかも、小説家としての才能だといえるでしょう。
まとめ
○小説を書くのは事実でないことを公然と表現できる珍しい行為。
○人を傷つける嘘はもちろんついてはいけない。
○恋愛経験がなくとも執筆してもいい。
恋愛経験として実際に体験していないことを小説で書くことは、何ら誹りを受ける行為ではありません。
批判があるとすれば、その表現が読者にとって現実的か否かというものになるでしょう。